こんにちはたまこです。今日は15年間摂食障害を抱える私の経験から、なぜ摂食障害になってしまうのか、摂食障害のメカニズムや、回復する方法はあるのかといった内容をまとめていきたいと思います。
今回まとめる内容は完治するための内容ではありませんが、自分の中で何が起こっているのかというのを少しでも理解することができたら、受け入れ方が変わり、楽になるかもしれません。

この記事がお勧めな人♪
- 過食や嘔吐が止められない
- 摂食障害がつらい
- 生きてる価値がないと思ってしまう
摂食障害は自己否定が原因?
多くの場合はその症状を抑えようとあの手この手を使います。私も摂食障害を治すため、家に食べ物を置かないようにしたり、一人でご飯を食べないようにしたり、細かくカロリー計算をしたりしてきました。しかし食べることをやめれば、パニック障害になったり、何かしらの別の症状が出てしまい、様々な症状がぐるぐるしてしまう状態が続いていました。
そして、ただ一つわかったことは、多くの心の問題や様々な依存症は、自己否定であるということです。この世に自分以外誰も存在していなければ、こんなに悩むことはありません。ということは、すべての悩みは対人関係であり、「自分が他人からどう思われているのか」「自分は存在する価値がないのではないか」という意識が根底にあるのだと思います。
人は安全基地を求めている
人は自分が安心して過ごせる居場所を常に探しています。小さいときに親が厳しすぎたり、虐待を受けたり不安定な家庭の場合、心の傷によって、安心して人と関係を築くことができず、常に不安定な精神状況になってしまいます。
私もとても不安定な精神状態だったので、社会人になって一人暮らしをするようになってからは、捨てられる心配もないですし、人とずっと一緒にいる必要がないので、実家に住んでいたときの不安感はなくなっていました。しかし、結婚してから、また不安感襲ってくるようになりました。
夫とどんなに円満だとしても、ふとした瞬間に「捨てられて家を出ることになるかもしれない」「不倫されて傷つけられるかもしれない」と不安でいっぱいになってしまいました。
ある程度距離のある関係なら普通に接することができるのですが、家族など近い存在になればなるほど、不安定になってしまいます。「一人だったら不安にならないのにな」と結婚を後悔することも多々ありました。
人は何かしらの居場所というものが必要なのでしょう。人間関係に安心感が持てない私はこの15年間満たされない気持ちを埋めるために、食べ吐きすることで自分の居場所といいますか、本当に向き合わなければいけない問題から逃げて架空の安心感で満たそうとしていました。
食べ物を食べているときは何も考えなくていいので、過食嘔吐で現実逃避をしていましたが、問題はどんどん大きくなって、向き合わなければならない状態に追いやられる結果になるんですね。


寂しさと不安が根本にある
そして、その虚しさや寂しさが何なのかわからず、誰にも言えない、誰にも分ってもらえないとふさぎ込んでしまっていると食べることでそれを埋めようとしてしまいます。
食べてるときは何も考えなくてよくて、ただただパンなどを無我夢中で食べ物を詰め込みます。
摂食障害の回復のために
運動などで発散できるならいいのですが、リストカットなどの自傷行為に走ってしまうと大変です。そして、過食後がとても重要です。過食後や嘔吐後は「またやってしまった」と罪悪感を感じることが多いです。
摂食障害の方は非常にまじめなので「過食したけど、まぁいっか」で済ませられるのであればそもそも摂食障害になんてなりません。罪悪感を感じないのは難しいかもしれませんが、やってしまったときは「しょうがないよね」「つらかったんだね」「ストレス溜まってたんだね」と自分に寄り添うようにすると良いでしょう。
私は今のところ、完治したかはわかりませんが、摂食障害がとてもピークでつらかったときは、自分をものすごく責めて、必死で止めようとしていました。自分を責めると更に脳がストレスを溜めるので、悪化します。
摂食障害は完治というものがわからないので、治すことを目的にするより、ストレス発散や自分を維持するための一つの手段として受け入れてしまうと楽になります。
私は過食→寄り添う→過食→寄り添うというのを繰り返していくうちに、自分を責めて破壊的になることがなくなりました。


おわりに
自分の中に2人の自分が存在していて、自己否定をする自分が80%くらいいて、それが100%になったら死んでしまうので、100%にならないように、残りの20%の肯定派の自分が一生懸命阻止しようとしています。過食嘔吐やリストカットなどは破壊的な行為に見えますが、本当は自分のことを認めてあげるための歪んだ手段なのだと思います。
摂食障害は悪なのではなく、自分が死なないように抑えてくれてると考えたら、見え方が変わってくると思います。自分がやってしまう行為に目を向けるのではなく「つらいんだな」「苦しいんだな」と自分の心に目を向けて、寄り添うようにしていくと、何かが変わってくるかもしれません。