人間関係が苦手!心の病を抱えたままで、幸せに生きてみる!

皆さんこんにちは、たまこです。今回は、なんだか生きづらい、鬱になってしまった、人間関係がしんどくなってしまったという方向けに、人生が楽になった体験談をまとめていきたいと思います。

というのも、鬱になったり、精神疾患になってしまうと思考が上手く働かず、何もかもがネガティブな捉え方になってしまい、自分はダメな人間なんだと自分を責めて苦しくなってしまうと思います。

私自身が、人と関わることが苦手なのに「生きて行くには社交性が大切」「社会の役に立たなければいけない」「結果を出さなければならない」「付き合いを良くしなければいけない」という思い込みを持ち続けた結果、鬱になってしまった経験があり、精神的につらい時期を送っていたことがあります。

鬱なのに、鬱は甘えだと思い、もっと頑張らなきゃと自分を追い詰め生き方をしていました。しかし、どうにもこうにも身体が動かなくなってしまいました。

「こんな状態ではもう生きる価値がないから死にたい」なんて思っていましたが、そこから一回だけ真逆の生き方をしてみたことでびっくりするくらい生き方が変わったのです。

もし今引きこもり状態になるまで落ち込んでしまって、悩んでいる方がいたら、楽な生き方に繋がるかもしれないので、参考になればいいなと思いまとめようと思いました。

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目次

社交的な人が幸せになれる?

世間では、社交的な方が出世もできたり、プライベートが充実していて、幸せな印象があると思います。きっと多くの人がそのような社交的でカリスマ性のある人に憧れるのではないでしょうか。

羨ましいなと感じる程度ならいいのですが、社交的な人達と比べて、自分は内向的だからダメなんだ、自分は何の能力もない、友達も少ない、恋人ができないと悲観的になってしまっている方もいるかもしれません。

確かに人間の幸福度は、人との繋がりが関係しているというデータもあるので、社交的な人の方が人生は楽しいかもしれません。しかし、中には一人の方が幸福度が高くなり、能力を発揮できるタイプもいます。

もし今のあなたが内向的なことを悲観的に捉え、生きづらさを感じているのであれば、もしかしたら大きな才能を持っているかもしれません。

不幸に陥りやすい人

ちなみにどんな人が不幸になりやすいかというと「自分には社交性が足りないからもっと社交性を上げなければいけない」「社交性がなければ社会を切り抜けない」と不安感や孤独感を持っている人です。

社交的で友達が多くても、なんとなくグループの中で浮いてる感じがすれば幸福度は下がりますし、内向的で友達が少なくても、一人の時間に充実感を感じているなら幸福度は高いのです。

私が生きづらかったときは、グループの中にいても浮いてる感じがして、一生懸命好かれよう、認められようと必死でした。なぜ楽しくもないグループの中で必死だったかというと、小学生ころからのイメージがあったからでしょう。

クラスの人気者は社交的で、運動もできて、頭もよく、おまけに容姿まで良い子、もしくはおちゃらけた面白い子。逆に内向的な人は、バカにされたり、いじめられたり、仲間外れにされるというイメージが強くありました。

私はどちらかというと後者の立場だったので「ありのままの自分で生きていては認めてもらえない」「何か人の役に立つ生き方をしなければいけない」「嫌われたら怖い」と、ひたすら人のいうことを聞いていい子ちゃんを演じて生きていました。

世間からのフィルターと見栄

社交的になろうと頑張ったおかげで、初対面でも卒なく人と会話をすることができ、仕事でも困らない程度の対話ができるようになったので、結果的によかったと思います。

しかし、どこかで生きずらさはぬぐえず、毎日自宅に帰るとどっと疲れていました。大人になってからも人からの評価をずっと気にしており当時の私は、能力もないのに、見栄で上場企業に勤めていました。

上場企業とはいっても新卒では年収300万程度だったので、もし結婚するときにお金がないとなったら恥ずかしいことだと思い、夜の仕事もこっそりしていました。

近い将来のために1000万円くらい貯まれば良いかなと思っていたのですが、金銭感覚が狂ってきて「お金が稼げればすごいと思ってもらえるんだ」という思考に移行している自分がいました。

稼げればなんでも良いと思い、気づくと夜の街で知り合った人たちにネットワークビジネスやおかしな投資に騙されてしまい、20代前半で、300万円ほど借金を背負っていました。

その詐欺集団の界隈では「周りを幸せにしたければまずは自分がお金持ちになろう」「お金があれば家族や周りを幸せにできる」「お金があれば社会貢献ができて、みんなに尊敬される」「お金があれば自由になれる」みたいなことを言われ続けました。

私は「お金を稼げば自分の価値も高まり、周りに尊敬されるんだ」「ここにいれば仲間もできる」という風にどんどん洗脳されていきました。しかし、私は一向に稼ぐことができず、どんどんお金を巻き上げられました。

途中で自分は騙されていることに気が付きました。その人たちとはすぐに縁は切り、借金もすぐに返しました。しかし、お金への執着と承認欲求が余計に強まり、今度は起業をしてみようとキラキラ系女子の高額セミナーなどに通うようになりました。港区女子のような華やかな人たちと繋がってパーティーみたいなのに参加して情報交換をしていました。

しかし、そのキラキラ系の人たちのように、SNSの真似事をやっても「私って何がしたいんだろう」と虚しくなっていきました。

そのまま人と関わることも億劫になっていき、家で過食嘔吐をする日々を送っていました。ようやく「仲間に囲まれてキラキラした人生を送ることが果たして私にとって幸せなのか?」という疑問を持つようになったのです。

自分の本質を理解する

27歳で引きこもるようになって、世間からの偽の幸せフィルターが多くかかっていることに気が付きました。

社交的な成功、社会的地位、お金持ちになること、結婚したら幸せ、子供ができれば幸せ、マイホームにマイカー、ブランドもの、海外旅行 etc…

これらはすべて、社会が定義づけた上辺の幸福であること。

確かにこれらが全部そろっていたら豊かなのかもしれませんが、ドーパミンを放出する程度で、正直、どれもこれも幸せとイコールにならないなと感じました。

「そもそも、他人は私に興味がないのだから、私が社交的であろうと内向的であろうと、能無しであろうと、お金があろうとなかろうとどうでもいいのではないか?これらの理想を手に入れて、誰に認めてもらいたいんだろう?」と思えたのです。

すると、これまで人の評価や見られ方を気にしてガチガチになっていた心がスッと軽くなったのです。心身ともにボロボロになりましたが、世間からの「こうあることが幸せ」というフィルターが外れたことで、自分らしく生きる為ののスタート地点に立った感じがしました。

幸せになるにはプライドを捨てる

人の評価を気にするということは、プライドが高いことと同じだと思います。人にバカにされたくないとか、見下されたくないといったところがあるのかもしれません。私はしょうもないプライドや承認欲求、自己否定が重なり、非常に生きづらかったのだと思います。

これらの鎧を全部おろしてみると、どうってことないことに気が付きました。確かに沢山稼いで人に注目されればすごいかもしれません。身を削って世のため人のために頑張ることが美徳のようなところがありますが、病気になるほど頑張ったからといって価値が高まるわけではありません。必要とされていないからといって生きていてはいけないわけでもありません。

自分の価値を人に委ねるから自分らしさがなくなり、生きづらくなってしまいます。私はそのせいで鬱になりましたが、他にも境界性パーソナリティー障害、摂食障害、愛着障害などもあります。これらが治らないと幸せになれないんだ、価値がないんだと思っていましたが、これらを生まれつきの持病や年齢を重ねて出てくる腰痛や関節痛のようなものと同じと捉えるようにしました。

治らなくても、人に迷惑をかけてしまっても「できないことはしょうがないよね」と自分を責めるのをやめました。他人に受け入れてもらおうとしたり、理解してもらおうということをやめると、頑張る必要がなくなるのでとても楽になります。

理解してくれない人と無理して付き合う必要もありませんので、断ち切ってしまっても全然OKです。私は携帯ごと変え、転職もし、人間関係をすべてをリセットしてしまいましたが、全く問題ありませんでした。

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孤独な方が幸せになれる人もいる

人と関わることをやめると孤独で寂しくなると思う方もいるかもしれませんが、むしろ孤独の方が幸福度が高く、発想が豊かになったり、能力を発揮する人もいます。

内向的な偉人には、アインシュタインやビルゲイツ、ウォーレンバフェット、リンカーンなど様々な方がいます。

 もしあなたが、内向的であることに引け目を感じているなら、一定期間一人の時間をとるようにしてみると良いかもしれません。空いた時間を自分の時間に使ってみることで充実感を感じられたり、新しいアイディアがひらめいたりするかもしれません。もしかしたらものすごい能力が発揮されるかもしれません。

私は能力は何もありませんが、幸福度という観点では、人と繋がろうと必死だった時より、自分の好きなことを黙々と取り組んでいる方が幸福感を感じるなと思いました。

一人になったことで、自分が幸福に感じることに気が付くことができたのです。今はとても地味な生活ですが、好きな時に起きて、YouTubeを見たり、カフェで読書したり、ぼーっとしたり、誰の役にも立たないような生き方をしています。自分のキャパや器の小ささを認めたことで、自分を大きく見せる必要がないので気が楽です。

初めは、こんなダラダラした生き方に罪悪感がありましたが、やはり自分が幸せでないのに「誰かのために」と身を削って必死になっても、見返りを求めてしまって、誰も幸せにできないと思います。

数カ月こんな感じでぼーっとしていると自分が興味ある情報が勝手に集めているので、それをブログに書いてみようかなとなりました。今は3つのブログを運営しているのですが、半年ほどでブログを見て下さる人が増え、広告収入も入るようになってきたので、今ではブログが生き甲斐になっています。

おわりに

世間の評価を気にしすぎて、鬱になるまで頑張ってきましたが、自分を削って頑張っても、幸せには結び付きません。なんとなく世間の圧で頑張らなければいけない風潮がありますが、鬱になってまで頑張れとは誰も思わないでしょう。

病気でも幸せになっていいですし、能力がなくても幸せになっていいですし、お金がなくても幸せになっていいですし、どんな状態でも今すぐ自分が幸せになっていいのです。

自分が幸せに生きていると周りも「私も幸せになっていいんだ」というように自分に許可を出しやすくなります。もし、人生がしんどいなという方は、一度、どうしようもないくらいダメ人間になって、わがままに生きてみて下さい。

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